子どもがしょんぼりした姿を見て、「反省した」と思っていませんか?

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子どもがしょんぼりした姿を見て、「反省した」と思っていませんか?

子どもがしょんぼりした姿を見て、「反省した」と思っていませんか?

2026/09/20

子どもを強く叱ったあと。

さっきまで言い返していた子が、急に黙る。うつむく。泣く。

 

そんな姿を見て、

「やっと分かったみたい」
「ちゃんと反省したな」

と思ったことはありませんか?

私たちはどこかで、

 

 強く叱る


  ↓


 子どもが落ち込む


  ↓


 反省する


  ↓


 次から気をつける

 

そんなふうに考えているのではないでしょうか。

 

私自身も、何度伝えても子どもが同じことを繰り返していると、

「もっと強く言わないと、伝わらないのかな」と思うことがあります。

 

そして、強く言ったあと、子どもがしょんぼりすると、

「今度こそ伝わったのかな」と思ってしまう。

 

でも、あるとき、ふと思ったんです。

しょんぼりした=反省した。
私は、どうしてそう見ているんだろう?

「やめた」と「分かった」は、同じ?

たとえば、何度言っても同じことを繰り返す子どもがいるとします。

 

「それはやめようね」と言っても、またする。

もう一度伝えても、またする。

 

だんだん大人の声も強くなって、

「何回言ったら分かるの!」
「もういい加減にしなさい!」

すると、子どもがピタッとやめる。

 

さっきまでとは表情が変わり、黙って、うつむく。

 

そんな姿を見ると、

 

「最初から、これくらい強く言えばよかった」
「やっぱり、ちゃんと叱らないと分からないんだ」

と思ってしまうことがあります。

 

確かに、強く言うことで、その場の行動が止まることはあります。

 

でも、

「やめた」ことと、
「分かった」ことは、同じなのでしょうか。

 

そして、もう一つ。

「落ち込んだ」ことと、
「振り返った」ことも、同じなのでしょうか。

 

ここを考えるようになってから、私には、子どもの“しょんぼり”が少し違って見えるようになりました。

しょんぼりしているとき、子どもの中では何が起きている?

ここで、少しだけ脳の話をします。

私たちが、

「何が起きたんだろう」
「どうすればよかったんだろう」
「次はどうしよう」

と振り返るためには、少し立ち止まって考える力が必要です。

 

注意を向ける。
頭の中に情報を置いて考える。
気持ちや行動を調整する。
違う見方に切り替える。

 

こうした力は「実行機能」と呼ばれ、前頭前野を含む脳のネットワークが関わっています。

 

そして、この力は子どもの頃から少しずつ育っていく途中にあります。(ハーバード発達子どもセンター⁠)

 

一方で、強いストレスがかかったときには、ワーキングメモリや考えを柔軟に切り替える力などが影響を受けることが研究でも示されています。だから、怖さや不安で心がいっぱいになっているときには、落ち着いて振り返ることが難しくなる場合があります。(PubMed Central (PMC)⁠)

 

だから、強く叱られて子どもが黙っているとき。

 

その子の頭の中で、

「何がいけなかったんだろう」
「次はこうしよう」

と考えているとは限りません。

 

もしかすると、

「怖かった」
「怒られた」
「もうやめよう」

でいっぱいになっているのかもしれない。

 

そう考えると、

しょんぼりしている=反省している

とは、簡単には言えなくなります。

私が「反省」だと思っていたものは、何だったんだろう

ここで、同じ場面をもう一度見てみます

強く叱った。

子どもが黙った。

うつむいた。

 

以前なら、「ちゃんと反省した」と見えていた姿。

 

でも今は、

「この子は今、本当に振り返れる状態なんだろうか?」

と考えるようになりました。

 

同じ子どもです。

同じ出来事です。

 

変わったのは、子どもではなく、私の見方でした。

そうすると、「叱る」「注意する」ということの目的も、少し違って見えてきます。

本当に育てたいのは、「反省しているように見える姿」ではない

もちろん、注意しなくていいという話ではありません。

危ないことは止める。

人を傷つけることは、してはいけないと伝える。

守る必要があることは、きちんと伝える。

 

でも、

泣いた。
黙った。
うつむいた。

 

その姿を見て、

「これだけ落ち込んだんだから、もう分かっただろう」

とすることが、注意のゴールではないはずです。

 

アメリカ小児科学会も、怒鳴ったり、恥をかかせたりするような罰的なしつけは、短期的にも効果が限定的で、長期的には有効ではないとしています。(American Academy of Pediatrics⁠)

 

本当に育てたいのは、

「何があったんだろう」
「相手はどう感じたかな」
「じゃあ、次はどうしよう」

と、自分の行動を振り返り、少しずつ自分で考えていける力ではないでしょうか。

 

だとしたら、注意するときに考えたいのは、

「どうすれば、もっと反省させられるか」ではなく、
「どうすれば、この子が振り返れるだろう」

なのかもしれません。

 

この問いに変わるだけで、

かける言葉も、

待つ時間も、

大人の表情も、

少し変わってくるように思います。

そして、これって大人も同じなのかもしれません

ここまで子どもの話をしてきました。

でも、考えているうちに、私はもう一つ気づきました。

 

これって、私たち大人も同じではないでしょうか。

 

子どもに強く言ってしまったあと、

「また怒ってしまった」
「分かっているのに、またできなかった」
「私ってダメだな」

と落ち込む。

 

私たちは、それを「振り返っている」と思うことがあります。

 

でも、

「またダメだった」
「どうして私はできないんだろう」

と自分を責め続けることと、

 

「あのとき私は、何を感じていたんだろう」
「私は、子どもの姿をどう見ていたんだろう」
「ほかには、どんな見え方があったんだろう」

と振り返ることは、同じではありません。

 

落ち込むことと、振り返ることは違う。

子どもに「振り返ってほしい」と願っている私たち自身も、

自分を落ち込ませることで反省しようとしていることがあるのかもしれません。

子どもにも、大人にも「考えられる余白」を

「また怒ってしまった」

そこに気づけたなら、そこで終わらなくてもいい。

 

自分を責める代わりに、

「私は、あのとき何を見ていたんだろう?」

と、少し立ち止まってみる。

 

そして、

「ほかには、どんな見え方があるだろう?」

と、違うところからもう一度見てみる。

 

すると、

「ああ、私はこう見ていたから、あんなに焦ったのかもしれない」

「そういう見方もあったのか」

と、今まで見えていなかったものが見えてくることがあります。

 

でも、自分が今どんな見方をしているのかを、自分一人で見つけるのは意外と難しいものです。

 

私たちは、自分の見方を「一つの見方」とは思わず、

「そういうものだ」

と思って見ていることが多いからです。

 

私が30年以上の保育現場で感じ、考えてきたことをもとにつくった「まなざしミラー」も、この“もう一つの見方”を大切にしています。

 

正しい叱り方を教えるためのものではありません。

 

今の自分が、その出来事をどう見ていたのかに気づく。

今までとは違う見方にも触れてみる。

そして最後は、「じゃあ私は、次はどうしたい?」を、自分で選んでいく。

そのためのミラーです。

 

子どもに育ってほしいと思っている、

振り返って、
自分で考えて、
次を選ぶ力。

 

もしかすると、その力は、子どもに教えるだけのものではなく、

私たち大人も一緒に育てていくものなのかもしれません。

 

次に、子どもがしょんぼりしている姿を見たとき。

「反省したな」と決める前に、

「この子は今、本当に振り返れる状態かな?」

そんなふうに、一度だけ見てみませんか。

• 保育士歴25年以上/幼稚園教諭5年(現役)

• 2,000人以上の親子と伴走/才能クリエイト協会認定 上級コーチ

• メディア: サンテレビ「ネクストニッポン」出演(2025年11月放映)

• 著書: 『愛情に秘められた親のホンネ』

• 拠点: 大阪府岸和田市(オンラインで全国対応)

• 独自技術: まなざし診断「マナシン」(商標登録出願中)× AIプロンプトエンジニア資格


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